(七、 味のカンどころのつづき)
(1) 手間を掛けた鮨ダネ
只今は鮨ダネと云うとまぐろ、それもトロ偏重の趣がありますが、確かにまぐろは王様だとしても、相撲だっ
て横綱だけじゃあ本場所は開けない。実力大関、手取の関脇、クセ者小結といったところが活躍して始めて
大相撲と云えるんで、鮨も煮物光り物といった冴えた技が揃ってこそ江戸前でございます。
煮物の代表は今挙げた穴子ですが、そのほかにも蛤、シャコ、蒸し鮑、煮いか、たこなどと云った仕事があ
ってツウを喜ばせております。
一方光り物には、こはだを先頭にシンコ(こはだの子)、さより、かすご(鯛の子)、えぼ鯛、きす、あじ、ジン
タ(あじの子)、さばなど錚々たる面々がひしめき、中には白身の上ダネ島あじを〆めて光り物として出すよう
な、気鋭のお店もございます。
昨今、さよりやあじなどは生のまま握る店が多いのですが、昔ながらの塩にして酢で〆めた光り物はいぶ
し銀とでも申しましょうか、生よりも一段と味わいが深いようです。
またさより、かすご、きす、えぼ鯛など青魚ではない光り物には、わさびの外におぼろも挟むのがきまり定
法とされているそうで、初夏のころ仄かなおぼろの甘味を舌に載せつつ頂くきすなんぞは、まったく堪えられ
ませんなあ。
しかしながら、このように手間をかけた鮨ダネを多く揃えられるのも、年期の入った職人の技があればこそ。
それぞれの魚の拵え方も、塩と酢の按配も、タネの新鮮さや安さばかりを売り物にする効率主義・儲け主義
からは生まれようの無い仕事。今日これが主流でないのは残念ですが、一口パクリでは惜しいような職人の
技を、たまにはジックリ味わいたいものです。
そうそう思い出しましたが、近ごろ時として煮穴子とか煮蛤とか、美しくない言葉を耳にすることがありますが
生で握る穴子や蛤がどこにありましょうか。生いかと区別するために煮いかと云うのは分りますが、煮物に決
まっている穴子や蛤に煮を付けるなんて事は国語審議会の方でぜひ取り締まってもらいたい。
ついでながら、煮物に塗る(煮)ツメのことを平気でタレと呼ぶ人が増えて来て、この手の人はそば汁や天麩
羅のつゆのことさえタレと言って恥じないんですが、鮨はあくまでツメと正しく言ってもらわなきゃ江戸前の看
板が泣きます。こちらの方は鮨組合で罰金を取ることにしてもらいたいものでございます。
(2) 旬
仕事と並んで大切なのが旬のけじめですナ。旬と云うのは、それぞれのお魚の味が一番美味しく且つ漁獲
量も多いと云うことでお値段的にもお得なわけですが、それだけではありません。
この旬を重んじると云うことは、大げさに言えば四季折々の移り変わりを大切にする日本文化の伝統にも通
ずる所でありまして、八月のお盆前、カナカナ蝉の鳴き出す頃に握ってもらうシンコの味に「そろそろ秋も近い
ナ」と物の哀れを感じるのが日本人、日本文化のカン所ってもんでございます。ですからタネケースの中でひ
らめ(秋冬)とすずき(夏)が同居していたり、蛤(秋の彼岸から春の彼岸まで)と鮑(夏)が肩を並べていたん
じゃあ具合が悪いわけでして、この旬のけじめも広い意味で味のうち。鮨を愛すると云うからにはこのけじめ
を大切にして、日本文化の伝統を守らなくちゃいけませんヨ。
(3) 煮切り
江戸前の鮨と云うとよく煮切りが引き合いに出されます。美しく握られたお鮨にひと刷毛サッと引かれた薄
めのお醤油みたいなナニのことですが、見た目といい香りといいたいへん風情があって食欲をそそります。
お醤油をベースにお店によってお酒や出汁あるいは味醂などを少量加え、サッと煮て冷ましたもので、「こい
つ煮切りを引いてなけりゃ江戸前とは云わせねエ」みたいなところがあるのですが、お説に従って付け醤油
なしでいただくと、少数の例外を除いてどーもコノ、物足らないことが多い。
光り物などはまだしも、すずきひらめなどの白身ダネ、赤貝トリ貝と云った貝のたぐい、それに生いかなんか
も、つい見栄を張ってそのまま口へ運ぶと、「蕎麦につゆをタップリつけて喰いたかった」と嘆く江戸っ子に同
情するケースが多いですナ。
これについて永年悩んでおりましたが、先ごろ神田小川町の笹巻き毛抜き寿司を食べてみて、その理由が
少し分ったような気が致しました。ここのお鮨は握り鮨の原型を今に止める学問的にも貴重なお鮨だそうです
が、その味はと云うとタネにも酢めしにも大変シッカリ塩と酢で味付けがしてあります。つけ醤油はおろか煮
切りも全く必要なし。鮨が本来保存食から始まったことがよーく分るお鮨でございます。
そう云ったところにルーツをもつ握り鮨が、時代の進むにつれて次第に保存からお魚そのものの旨さを引き出
す方向へと変化して行った。それに合わせてタネや酢めしに加えられていた強い塩や酢の味が薄くなって行
き、代わってより味のまろやかな煮切りが使われるようになった。これが煮切り誕生の由来ではなかろうかと
…。
たしかに煮切り派の元締めを以って任じる浅草の弁天山美家古では、たいやひらめなどの白身も生のまま
でなく一旦昆布〆にしてから握るので、煮切りを引いてちょうど良い味になっている。ところが昆布〆め酢〆
めと云った工程を経ずに生ネタそのままを握る場合には、当然煮切りだけでは味に不足をきたすわけで、つ
け醤油でこれを補うのはあながちマナー違反ではない。
これが分って永年の悩みは解消しましたが、それにしても煮切りを引いてツケ台に置かれた鮨には何とも云
えぬ色香が備わっていて、これも江戸前の風情の一つと申せましょう。
(4) お酒と鮨の健全な関係
見て美しく食べて美味しい鮨ダネは、また絶好の酒のつまみ。チョイと一杯のつもりがついお銚子二本、
三本に発展し、つまみばかり切ってもらって結局食べたお鮨はカッパ巻きだけ、なんて図をよく見かけます。
話に夢中になって、握られたお鮨がツケ台に置かれたままになっているのも切ないもの。鮨っ喰いを目指す
ならこれはまことに勿体ない。味の点もさることながら、すし屋の勘定はお酒付きモードになった途端にピンと
跳上るので、余計なお世話でしょうが財政的にも勿体ない。
これはわたくし筆者の推定ですが、お店の方からすれば酒のつまみに切る鮨ダネは大体三カン分なので、
そこで余分に頂いている訳じゃないと云うことの外に、お酒の入ったお客はえてしてわがままなもの。職人に
余計な神経を使わせますし、握りのペースも乱しがち。加えて長っ尻になって店の回転率も落ちますから、
お酒が入れば勘定体系が変わるのも無理からぬところ。お酒モードになったらお鮨の勘定は一割から一割
五分くらいは上るんじゃないかなあ。
先に挙げたようなわれら庶民の味方と言えるようなお店でも、そこそこつまみを取ってお酒を飲んで、しかる
のち「握って」なんてことをすれば、まず八千円から九千円とエスカレートして行くでしょう。
たまにはこれも悪くありませんが、しょっちゅうでは"旨い安い"を探し歩いた意味がありません。すし屋のお
酒はせいぜいビール一本、あるいはお銚子一本くらいまで。あとはお茶を貰ってお鮨をパクパク食べて長居
をせずにサッと引き上げる。これが良いサービスを受けられる粋な客と云うもンです。
お酒を飲みたければそば屋へ。これは今も変わらぬすし屋の鉄則ですナ。エッ、どこのそば屋がお奨めで
すって?わたくし筆者の贔屓は浅草の○○○ですが、その話はまた別の機会に…。
八、 お勘定!
楽しくお鮨を頂いたあとは、いよいよお勘定となります。お勘定と云うものはその中に全てが集約されてい
ると云う点で、ゴルフのスコア・カードに似ていますナ。 ○番ホールではドライバーが二百五十ヤード飛んだ、
○番ではあわやホールインワンだったと自慢話に花が咲くんですが、肝心なのは「ところで今日は幾つで廻
ったの?」と云う一点に尽きるわけでして、百の議論よりも一枚のスコアカードにその実力は余すところなく集
約されております。
すし屋の勘定もこれに似て、食べ終ったあとの満足感と財布からお札を取り出す苦痛とを比べてみれば、
今日のお鮨の値打ちは一遍に判る。 もちろん満足感と云う精神的な価値とお金と云う経済的な価値との比
較ですから、高い、安いは絶対額では決まりませんナ。 一万円払っても安かったと思う時もあれば、三千円
でも損したと感じる時がある。そうではあってもわれら庶民にとって、高いか安いかの一応の目安は自ずから
あるはずで…。
いまそれなりのお店で、握りを十カンほどと巻き物一本くらいお好みで頂いて、その味とサービスが十分満
足できる水準だったとして、そのお値段が六千円台までに納まっているなら、「これはなかなか良い店だナ。
今度はあいつ友達を連れて来よう」となり、七千円から八千円台になると「今日はかなり贅沢しちゃったナ。
これから少し締めなくちゃいけないナ」と反省が加わる。さらに一万円を超えるようなら「ヒエーッ、これは出掛
ける方角が悪かった。今月の飲み会は全部キャンセルしとこう」と、まことに悲痛な心境。
こんなところがポケットマネーで食べるわれらの庶民感情(=勘定)ではないでしょうか。
安くても五,六千円ですヨ!"松"の鰻重を肝吸い付きで二人前食べておつりが来る値段ですヨ。ですからす
し屋へ出掛ける時は十分下調べをして店を選ぶべきで、準備不足で出掛けたら悲惨な結果は目に見えてい
ます。
この辺であまたあるすし屋の中から候補店を選ぶ時のポイントを、お勘定を中心にまとめて見ましょう。
1. (下町の)老舗で余り大きくない店
2. (出来れば)握り手が親方一人
これは入って見ないとわからないかも 知れませんが…。
3. お好みの目安が一万円以内
並○千円、中○千円、上○千円のようにコースメニューがあれば尚よい。
こんなところを基準に何店か選び出し、まずは店の前まで行ってたたずまいを観察。心眼を澄ませて中の
様子を伺い、何かしら感じるものがあったら思い切って暖簾をくぐる。
最初から究極の一軒に当たれば幸運ですが、二,三軒も廻れば必ずしっくり来る店に巡り会える筈です。
初回にお好みで食べるかどうかの目安は、コースがあって"上"が三千円から四千円位までのお店なら、
まず一万円を超えるなんてことはないはずです。ただし高いに決まっているトロ、えび、うに、いくら、そんな物
ばかり頼めば責任は持ちませんヨ。
値段の張るコース(五千円以上など)のあるお店なら、お好みのつもりでコースを頼んでみるのもお奨めで
す。クレジットカード不可のお店もあるので、軍資金は多めに。
あ、付け加えておきますが、事前に電話でいろいろ質問したり、初めての店に予約を入れて行くのは余り奨
められません。 粋にさりげなくお客とお店が出会う、これも江戸前の一つじゃないでしょうか。
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